【略歴】
日本共産党埼玉県委員会は、終戦直後の1945年11月18日に発足しました。
戦前、日本共産党は存立そのものが法律で禁じられていた政党でした。1932年の7月20日ごろ、埼玉県委員会は一時的につくられましたが、まもなく関係者が警察によって逮捕され組織はこわされました。いまでは考えられないことです。
埼玉県委員会は発足直後から、戦後の大変な時代、県民のくらしと平和のために県民のなかで活動しました。労働者のなかでは8時間労働など労働基本権の確立や生活ができる賃金、農民の中では農地改革の徹底や強権供出反対、女性の権利の確立、さらに、引揚者同盟や借地借家人組合をつくったり、民主的な医療活動にもとりくみました。
1950年の朝鮮戦争を前に、日本共産党の活動はアメリカ占領軍によって禁じられ、党自身の弱点もあって、党は分裂。埼玉の党も大変混乱しました。それでも、個々の党員はこの時期に、原水爆禁止運動、母親運動、民主的な医療活動の拡大など、県民の願いにこたえる活動にとりくんでいました。
1955年、日本共産党は再建の第一歩をふみだし、1958年の第7回党大会で党の再建に成功し、1960年の安保闘争をへて、1961年の第8回党大会で党の綱領が決められ、今日の党の土台がつくられました。この当時、埼玉の日本共産党の市町村会議員は18人、県議はいませんでした。
1961年に党綱領ができてから埼玉県委員会は、県民の願いを実現する、県民のたたかいの連帯と共同を強める、名実ともに「国民が主人公」の政治と社会を実現する、これらを実現するために強く大きな党をつくるなどを目標に活動してきました。
そして、1960年当時、千数百人だった党員は現在1万8千人に、「しんぶん赤旗」読者は4千人から約10万人に増えています。1972年から92年までの20年間は革新県政の与党として県政の民主的な発展、県民要求の実現に努力した経験ももっています。
たびかさなる公職選挙法の改悪や小選挙区制の導入など、日本共産党が国会に進出する条件は厳しくなっていますが、埼玉県ゆかりの国会議員には、塩川鉄也衆議院議員(北関東比例)、伊藤岳参議院議員、岩渕友参議院議員がいます。
埼玉県委員会の事務所は戦後、浦和、大宮、浦和と移り、2002年11月、多くの党員や後援会員、「しんぶん赤旗」読者の協力と暖かいご支援に支えられ、さいたま新都心駅東口から徒歩8分の現事務所に落ち着きました。
いま、日本共産党埼玉県委員会は、埼玉県労働組合連合会、新日本婦人の会、日本民主青年同盟、埼玉県商工団体連合会、埼玉県農民運動連合会、埼玉県生活と健康を守る会はじめ、多くの団体、個人との協力共同を強めながら、憲法改悪をゆるさない、庶民大増税反対、県民の暮らしと権利を守ろうなど、県内の千をこえる党支部を基礎に700万県民の生活と仕事のあらゆる分野で活動しています。
【埼玉県委員会の運営】
党の規約によって毎年1回、埼玉県党会議が開催され、1年間の方針が決められ役員が選出されます。この会議は、県下10地区の地区党会議で選出された代議員によって開かれます。地区党会議の代議員は県内約千の党支部の総会で選出されます。
支部は地域や職場、学園にあって、多くの支部が週1回の支部会議をひらき、学習をしながら活動しています。
【役員】
委員長 柴岡祐真
副委員長 赤岸雅治、綾部澄子、加藤宣子、丸井八千代
書記長 須田幾世志
【アクセス】
〒330-0835 さいたま市大宮区北袋町1-171-1
※JRさいたま新都心駅から徒歩8分
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【地区委員会】
埼玉県内には10の地区委員会があり、地域とより密接に結びついて活動しています。