小選挙区予定候補紹介記事その1

埼玉2区・おくだ智子予定候補(51)=新= 子どもたちに少人数学級を

「来る解散・総選挙で政治を変えよう」と連日、川口市内を駆け巡っています。衆院埼玉2区に挑戦するのは3回目。今度は、市民と野党の共闘での勝利をめざします。

両親は日本共産党員だったものの、20代後半になるまで党は遠い存在でした。そんな時、街頭で共産党の宣伝カーを見かけ、会釈をすると「ご声援ありがとうございます」と返ってきたことに「わあ、かっこいい」と感動。電話帳で党の事務所を調べて電話し、翌年に行われた東京都議選での宣伝カーのアナウンサーを経て、入党しました。

29歳で鳩ケ谷市議に初当選。「党の議員さんたちはかっこよく、やりがいがありそうだった。立候補を要請された時は『えっ、いいんですか。私やりたかったんです』と、すぐに引き受けました」と笑います。

市議時代は、子ども医療費無料制度の年齢拡充や学童保育所の増設などに尽力。「市の職員は、良き理解者だと思っています。ある元職員のご夫婦は、私が県議補選で当選した時も、とても喜んでくれて。あのころの経験は宝ですね」

街頭で、いつも訴えていることがあります。不登校気味で、3月からの一斉休校で振り回され、再開後、分散登校は何とかできたものの、40人学級に戻ると全く学校に行けなくなってしまった――。そんな、中学1年生の息子の友人がいます。「おとなの責任で、子どもたちに少人数学級をプレゼントしましょう」。訴えに、力がこもります。

奥田・ともこ 1968年旧鳩ケ谷市(現川口市)生まれ。東京家政大学卒。98年から鳩ケ谷市議4期。14年県議補選南2区(川口市)で当選し、県議1期。12年、14年衆院選埼玉2区候補、16年参院選比例候補。現在、党県委員、南部地区副委員長。

 

埼玉9区・神田三春予定候補(66)=新= 未来に希望ある社会へ

「みんなが希望を持って暮らせる世の中にしよう」。3度目の衆院埼玉9区候補として、社会を変えていく仲間たちとともに奮闘しています。

入党は、保育士を目指して練馬高等保育学院(当時は保母学院)に通っていた頃でした。子どもの頃から家に「しんぶん赤旗」があり、日本共産党のことを知っていました。卒業後、保育士や民青専従、新婦人を経て、党勤務員に。現在は党西南地区委員長を務めています。

国政初挑戦は2003年の総選挙で、得票は1万6514票でした。2度目の挑戦は17年。野党共闘が突然の逆流に直面したとき、「立憲主義を守れ」の市民の要請に応え、立ち上がりました。「オール9区の会」の人たちの応援を受けてたたかい抜き、得票は9区のものとして史上最高の4万822票を獲得。「共闘の力を実感しました」と笑顔で話します。

「コロナ禍で仕事がなくなった。1日1食できるかわからない」「新規開店したばかりで給付金がもらえなかった」といった悲鳴を聞いてきました。「自分でできることは自分で」という菅首相の自己責任押しつけは許せないと批判します。

次の総選挙は3度目の挑戦です。「菅首相は安倍政治継承を掲げましたが、新自由主義政治の行き詰まりは明白です」。野党連合政権をつくり、行き詰まった政治を変えるためには、日本共産党の躍進が決定的だと意気込みます。誰もが希望を持てる社会を目指し、「こんな冷たい政治は変えていこう」と街頭から訴えています。

神田・三春 1954年小鹿野町生まれ。都立練馬高等保育学院卒。03年、17年衆院選埼玉9区に立候補。現在、党県委員、西南地区委員長。

 

埼玉14区・田村勉予定候補(72)=新= 地方政治変えるためにも国政変えなければ

「『日本共産党ここにあり』という姿を示すことが、市民と野党の共闘を進める意味でも大切だ」と、立候補を決意しました。

中学卒業後、就職して川口市に転居。そこで「学ばなければ」と一念発起して、近所の定時制高校に入学しました。その後、東京都立の定時制高校に転校し、米軍立川基地(東京都立川市など、1977年に全面返還)で働きながら学びました。「当時はベトナム戦争真っ只中。通っていた高校でも〝学園紛争〟がありました」とふり返ります。卒業後は法政大学法学部政治学科に進学。在学時期は違いますが、菅義偉首相と同じ学科です。

大学卒業後は川口に戻り、そこで日本共産党に入党。31歳の時に党の専従になり、地区委員長や衆院小選挙区候補を歴任しました。

地方議員を経験し、「国政が変わらないと地方政治も変わらない」と身にしみて実感しています。「国の悪政は地方に伝播します。法律ができてしまえば、自治体職員はそれを実施しなければなりません。地方議員が各地でがんばることはもちろん大切ですが、おおもとである国政を変えることがどうしても必要です」と話す言葉に力がこもります。

日本学術会議の会員任命拒否問題は許せません。「戦前の弾圧事件に通じる問題であり、学者だけの問題ではありません。戦前の日本は、こうした口封じが積み重なって戦争につながりました」。南北に長い埼玉14区じゅうを駆け巡り、訴えています。

経歴 1948年群馬県生まれ。法政大学卒業。日本共産党埼玉東部南地区委員長を歴任。長瀞町議1期。2000年と03年に衆院埼玉3区、14年に同埼玉15区から日本共産党公認で立候補。現在は日本共産党埼玉県委員会勤務員。

 

伊藤・工藤氏街頭演説/野党連合政権実現を

日本共産党の伊藤岳参院議員は25日、埼玉県の新座、志木、和光、朝霞の各市で、工藤かおる埼玉衆院4区予定候補とともに街頭演説し、野党連合政権の実現と総選挙での共産党躍進を訴えました。聴衆が拍手や手振りで応援しました。

伊藤氏は「野党共闘の課題である政権合意についてもクリアしつつあるのではないか」と述べ、首相指名選挙で野党がそろって立憲民主党の枝野幸男代表に投じたことに言及。「野党共闘は新たな段階にきた。野党連合政権で政治の中身を変えよう」と強調し、共闘の要になる日本共産党の躍進を訴えました。

工藤氏は、福祉予算の増額や少人数学級実施などの政策を掲げ、「平和と暮らしを守る日本共産党の議席を国会に」と訴えました。

梅村氏ら/北関東キャラバン/菅首相早くやめて

日本共産党の北関東ブロックキャラバン宣伝で梅村さえこ衆院北関東比例予定候補は22日、富士見、ふじみ野、狭山、日高の4市で野党共闘の前進と共産党躍進を訴えました。

梅村氏は、安保法制=戦争法強行や消費税増税、菅首相の自己責任押しつけや改憲発言などを批判。「安倍政権を支えたのは官房長官だった菅首相だ。菅政権に国民のくらしは託せない。総選挙で共産党を大きくして新しい政治を実現しよう」と訴えました。

狭山、日高の両市では神田三春衆院埼玉9区予定候補も訴えました。神田氏は、消費税増税や菅首相の自己責任押しつけ発言などを批判し、「安倍政治とのたたかいはまだ続いている。総選挙で共産党を伸ばしてほしい」と呼びかけました。

富士見、ふじみ野の両市では前原かづえ県議も訴えました。

演説を熱心に聞いていた女性(79)=狭山市=は「梅村さんは消費税問題で頑張ってきた。今度こそ再び当選してほしい」「安倍政治継承の菅政権は もっとひどくなると思う。1日も早くやめてほしい」と話しました。

北関東で比例2議席を、塩川氏らが訴え

日本共産党の北関東ブロックキャラバン宣伝が9月21日、埼玉県入りし、塩川鉄也衆院議員・北関東比例予定候補が川口、さいたまの両市で、きたる総選挙での党の躍進を訴えました。

塩川氏は菅首相について、安倍政権のもとで2度の消費税増税や安保法制の強行、国政私物化の隠蔽(いんぺい)を進めてきたと批判。臨時国会の首相指名選挙では、野党がそろって立憲民主党の枝野幸男代表に投票したことを紹介し「自民党政治にかわる野党連合政権をつくるため、力をあわせましょう」と呼びかけました。

川口市では、おくだ智子衆院埼玉2区予定候補、村岡正嗣県議も訴えました。中学生の子どもを育てる、おくだ氏は、休校のしわ寄せが子どもや教員に及んでいると強調し「子どもたちに、少人数学級をプレゼントしましょう」と訴えました。

川口市で演説を聞いた女性(85)は「消費税は、増税しても福祉のために使われていない。共産党は、庶民の味方だからずっと応援しています」と話しました。

演説を聞いた男性(74)=川口市=は「菅首相は安倍さんと一緒に悪政を進めてきたことを、塩川さんがちゃんと言ってくれて良かった。今度こそ共産党が北関東で比例2議席取れるように頑張りたい」と語りました。

新座/北関東一斉宣伝/比例で共産党大きく

日本共産党の北関東ブロック一斉宣伝が18日、新座市であり、志木駅南口では、梅村さえこ衆院北関東比例予定候補と工藤かおる衆院埼玉4区候補が共産党躍進を訴えました。新座市議団も参加しました。

梅村氏は、菅首相の消費税増税や自己責任押しつけ、改憲発言について「こうした政治に未来はない」と批判。ケアに手厚い社会の実現など、共産党の7つの提案を紹介し、「比例で共産党を大きく伸ばし、みなさんの願いが通る政治をつくろう」と訴えました。

工藤氏は、自民党政治による病床数削減や非正規切り捨て、法人税引き下げを批判し、医療体制の充実や消費税減税・廃止、少人数学級実現などを訴え。「他の野党と力を合わせ、政権交代を目指している。応援してほしい」と呼びかけました。

熱心に聞いていた女性=志木市=は「もう消費税はいらないと思う。共産党に勝ってほしい」と話しました。